元スーパー店員がFIREしました(備忘録)

20年前からコツコツとFIREに向けて取り組み、52歳でサラリーマンを卒業しました。

スーパーマーケットで働く人たち(1)

スーパーマーケットに勤めるしがないサラリーマン、スーパーマンです。

 

スーパーマンは名前のごとく、スーパーマーケットの従業員です。

私の働く会社は、地方のそこそこ有名なスーパーマーケットで、完全なオーナー企業です。中小企業でなおかつスーパーマーケットという不人気業界のためなかなか優秀な人材が集まらない会社であります。(私も含めて)

私が入社したころは、先輩方はほとんど高卒(一部中卒)ばかりで大卒者は数えるほどしかおりませんでした。私の卒業した大学(地方中堅大学)で、高学歴扱いとなるほど入社偏差値が低い会社です。後輩の大卒も、中堅以下、Fランク大学卒の社員ばかりです。ただし、大卒だから優秀なわけでもないし、高卒でも優秀な人もいます。

20数年前に私が新卒で入社すると、高卒の先輩(年下)と一緒に仕事をし指導を仰ぐ立場となります。このあたりは、入社前から覚悟していましたが19歳の若造とやはり23歳の大卒では、価値観や考え方が違うと感じました。

入社してすぐ、果物を扱う部門に配属されました。

仕事内容は、例えば、スイカを1/6に切ったり、メロンを切ったり、オレンジを袋詰めしたりする作業が中心でした。あくまで作業なので、大学で学んだことは全く役に立つわけがありません。先に入社して作業を覚えた方が有利なだけのことです。

すいかなど切ったことがない私が、初めて包丁を握り、すいかを切るとやはり均等にきることは難しいんです。それを見て、19歳高卒「汚い切り方やなぁ!作業遅いなぁ。大学まで出て何やってたん。」などと小バカにした言い方で能力の違いを見せつけてきます。あえて厳しい言い方で奮起させるなどという高度な指導法など知るはずもありません。19歳で高卒で精神年齢が低く、自分が優位に立つことで偉そうにしてくる。そんな人間性の若造が山ほどいました。私も人間ですので腹も立ちましたが、そこはグッとこらえて耐え続けました。ほとんどの先輩(年上・年下)の会話は、「風俗」「パチンコ」「競馬」「彼女自慢」「レジ(高卒)女との色恋話」などひどいものでした。

 

今までそれなりの先輩、友人、彼女、が周りにいた私にとってある意味カルチャーショックでした。当時は就職が冷えこみつつあったとはいえ、同じ大学の友人のほとんどが、東証一部上場企業に就職していった中で私ひとり取り残された気持ちになりました。

そんな会社ですので会社の人間とは付き合うはずもなく、高校時代、大学時代の友人と休日は遊んでいました。会社の仕事内容よりも人間関係に疲れていたので、学生時代の友人との交流が唯一の息抜きでした。

それではなぜ20数年も働き続けることができたのでしょうか。

それは、

1.実家から通える会社だったから、通勤時間が30分圏内であったこと。

2.長時間労働でブラックであったがスーパーの仕事内容がそれほど難しい内容ではないこと。

3.従業員のレベルが低いので普通にしておけば社内ではそこそこの評価がもらえること。うちの会社では主任に到達し年収450~520万位に到達することが第一関門なので

ここに早く到達しないと生活が苦しい。私の場合は、入社7年目で主任となる。

(別に出世欲はないが、社内でいらん子扱いされるのもストレスである。)

4.投資を始め、考え方が会社に依存しない生き方へと変わった。

  投資資金を稼ぐために働く、経済的自由の獲得が目標となった。

5.実家から通えたことで生活コストを低く抑えることができ、投資資金へとすべてつぎ込むことができた。実家にお金を入れてなかったことで、それらを全て投資に回した。

投資に関しては、5のお陰で投資資金1000万を20代で貯めることができたました。

今から考えると、本当に親に甘えてましたね。

余裕資金を遊びに使わなかったことで、許していただくことにしようと思っています。

 

就活生のみなさん、大手に行って転勤だらけの人生では金がたまらないかもしれませんよ。あえて実家から通える会社にした方が、私のように貯金して投資の種銭を作れるかもしれません。ただし、スーパー業界はやめておいた方がいいと思います。