毎度スーパーマンです。
先日、両親と旅行に行ってきました。
今まで仕事が忙しくなかなか旅行することもできずにいたので
数十年ぶりに親子水入らずで行ってまいりました。
館内には、「夏目漱石」、「正岡子規」、「高浜虚子」、「渋沢栄一」、などかつて宿泊した文化人がその足跡を残しています。
実際には、当時の場所とは違い移転しているそうです。昔は、道後温泉本館の隣に位置していたらしいです。
館内には写真が掲示されている。
昭和天皇、上皇明仁、今上天皇、をはじめ、今でも皇族一族が利用する格式の高い老舗旅館です。
館内には昭和天皇が宿泊した部屋を移築してロビー横に展示してあります。
自由に見学できます。
大体2万円~2万5千円位で宿泊できます。少々お高いですが、両親と一緒なので奮発しました。(笑)
料理はおいしかったですね。
品のある上品なお味で、使っている素材もいいですね。
京都や大阪の高級料亭で修行されたのではないでしょうか。
素材を大切にした味付けでしたね。
温泉は、循環、加温、で、循環しながら一定量を少しづつかけ流ししていました。
温泉の鮮度感はありませんが、お湯自体は一定量外に流しているので清潔でありました。レジオネラ菌の心配は全くありません。
松山市内は都会ですので、温泉情緒感はないですが、まわりに店もたくさんありますし、松山城、正岡子規記念館など、なかなか見どころのある街だと思いました。
道後温泉に泊まるなら、「ふなや」はおすすめです。
数々の文化人が宿泊した唯一の宿であり、皇室御用達です。
どうせ行くなら、「ふなや」に泊まって話のネタにしましょう。(笑)
【ゆとりのある老夫婦】
私の両親は、「ふなや」が好きでもう5回目だそうだ。
仕事をやめた後、海外旅行やら国内旅行を楽しんでいる。
両親は、年金+不労所得で生活している「ゆとりある老夫婦」だ。
うらやましい限りです。
父親の資産はわからないが、それなりに持っているのだろう。
そんな父は、当時としては珍しく20代から株式投資をしているそうだ。
当時の投資人口は今と比べられないくらい少なかっただろう。
なんと60年も投資をし続けているとは…かなり資産を溶かした時期もあったそうだが
超長期保有することで大きく資産を増やしたようだ。
私が投資を始めたのは、父親が株をやっているのを子供の時から見ていたことも影響が大きい。
平凡なサラリーマンの息子であったら投資をやっていなかったように思う。
私「一番苦しかった時期はいつ?」
父「会社が倒産しかけたときかな、でも投資していた分が増えていたからその資金でなんとか乗り切った。」
「資産を増やせたのは自分の能力ではなく、あの頃は高度成長期で株がどんどん上がっていたんだ。その時に株をやっていた人は誰もがみんなものすごく儲かった。」
「しかし、バブルがはじけたときはしんどかった。資産が三分の1まで目減りした。」
「JAL株がすべて紙きれになるわ、さんざんやったね。バブル後の投資はそれほど儲かっていない。それよりも、昭和30年代の持っている株の含み益、売却益が大きいな。経済成長とともに、株価は上がっていくから超長期保有していた株は浮き沈みはあっても上がっているね。」
私「結局、投資はよかったの」
父「もちろん、やっているからこそ仕事を辞めた後、配当収入もありこうして旅行できている。でも、バブル崩壊以降の日本株での投資はそれほど儲かっていないな。
でも、投資をしていなかったらもっとしんどかったと思うよ。」
「投資に時間は必要だ。時間のおかげで損失を時間をかけて取り戻せている。」
父は、高度成長期の波に乗って儲けた世代であったが、同時にバブルで大損した世代でもある。少なからず父も、バブルの影響をモロに受けていたようだ。
思い返すと、確かに金に困っていた時期もあったように思う。
そんな両親の普段の生活はとても質素だ。
「贅沢」はしない。
最低限走るボロボロの国産車、めったに買わない服、外食はめったにしないし、ブランド品など全く持っていない。
戦前生まれの父は、見た目に派手な生活が大嫌いだ。
私が若い頃、血迷って高級外車を買おうとしたときにも大反対した。
「お前サラリーマンのくせして車なんかに金をかけるな。しょーもない見栄をはってどないするんや。金をかけるなら金を生むものに金をかけろ。」てな具合だ。
そして株を始めたころ、よく父に言われたことは、
「金が儲かったらすぐに株を買い増ししろ。」だ。
言っていることは当時はよくわからなかったが、今になるとロバキヨが言っている
「金持ちは資産を買い、貧乏人は負債を買う」
を父なりに教えていたのだろう。
投資は時間をかけてじっくりと。