スーパーマーケットに勤めるサラリーマン、スーパーマンです。
私の資産を公開します。
ここで私の簡単な投資歴をご紹介します。
1990年前半頃
大学生(経済学部)であったので証券の勉強がてら、みずほ証券(旧和光証券)で証券口座を開設。当時は金がなかったのでほぼ放置。お年玉のお小遣い貯金程度で社債を購入する。
199x年頃
このころも、和〇証券の口座をほぼ放置。就職と同時に外資系保険会社のお宝終身保険(終身3000万)に加入する。
※当時の予定利率は今とは比べられないほど高い。現在ももちろん保有している。また、金融機関に勤める先輩から、「結婚するまでに就職したら年間100万貯めろよ。実家通いなら貯めれるやろ」との忠告を素直に受けて年間100万を貯める。毎月5万+ボーナス全額貯蓄でほぼ100万貯まっていたように思う。
自宅から通える某地場スーパーマーケットに就職する。
毎日の激務に精神的、肉体的に疲労し、転職を含めた今後の人生設計について考え始める。
2000年頃
インターネットの普及しだして間もないころ、「イー・トレード証券(現SBI証券)」に口座を開設。手数料が和光証券より安く、これからはネット証券での取引を始める。(種銭500万)「金持ち父さん、貧乏父さん」初版 を読む。
この機を境に、労働者階級から資本家階級(投資家)への意識が芽生える。
2001年~2005年
スーパーの管理職扱いとなったが、「名ばかり管理職」となり1日15時間労働、休み7回、年収400万~450万での労働を強いられる。
当時は、大きな労働問題、名ばかり管理職、ブラック企業などの言葉が浸透しておらず、「このままでは会社に殺されてしまう。」という危機感が芽生える。
会社を訴えてやるという考えではなく、自分の環境をいかに変えていくかを模索しながら「金持ち父さん、貧乏父さん」を何度も読み返していた。
FIREという言葉はまだ存在していなかったが、できるだけ早く資産形成をして配当収入で生活していくことを決意した。
投資の含み益はマイナスとプラスを行ったり来たりの不安定な状況であった。
2000年~2013年
毎年100万以上貯金していたのを個別株にどんどん投資していく。
2008年
リーマンショック到来、偶然にも直前にある程度個別株を現金化していたことで、チャンス到来と資金を大量投入する。このころほとんど現金はなかったので、投資貧乏に陥る。
給料⇒株の購入の繰り返しで、マイナスでも一切売ることなく買い続けた。
ここから、2012年のアベノミクスの株価回復までほとんど含み益のない状態が続いた。
2012年
保有している株がどんどん値上がりする。本業が、スーパーの社員か、投資家かわからなくなる。
2014年
金融資産が1億円を突破し「億り人」となる。
アベノミクスのお陰です。
★「億り人」となったが、FIRE後の生活を余裕ある生活にしたかったので、我慢できる限界まで仕事をして、配当収入と資産の最大化を目指すことにした。
2015年
保有しているほとんどの株が数十倍以上の値上がりをして資産が大幅に増える。順に利確して安全資産に移す。
2019年
配当収入200万(税込)を超える。
2020年
コロナショックの値下がりのタイミングで、現金のほとんどを米国株に投入する。
こういったチャンスに備え、株をある程度現金化していたことが本当に良かった。
2021年
大量投入した米国株が値上がりする。
2022年
円安が加速度的に進み、保有資産額が2億円近くまで増える。
配当収入が税引後200万を超える。
2023年
目標資産を達成し、FIREする。
金融資産総額2億円を超える。
以上、がわたしの簡単な投資履歴です。
それでは、私の資産を公開します!※2019.04時点の内容です。
現在は、かなり安全資産になっておりますが以前は、ほとんどが日本株でした。
わたしのポートフォリオですが、今後の暴落にそなえキャッシュポジションを用意しながら、米国株投資にシフトしていきます。
銀行預金 | ¥48,843,760 |
社債 | ¥44,252,000 |
MRF | ¥49,518 |
日本株 | ¥25,985,360 |
投資信託(先進国米国株式・インデックス型) | ¥3,398,768 |
つみたてNISA(先進国米国株式・インデックス型) | ¥351,806 |
米国株(ETF+個別株) | ¥2,313,789 |
米ドル建てMMF | ¥673,744 |
確定拠出年金 | ¥1,215,578 |
養老保険 | ¥1,000,000 |
ソーシャルレンディング | ¥6,558,385 |
合計 | ¥134,642,708 |